4月の半ばに水戸のイオンの仕事場も復旧しまして、生徒さんも含めて、いろいろとお話をきいたところ、みなさんのほとんどは、茨城の北の方にすんでいらして、電気と水は2週間以上止まっていたそうです。中には茨城沿岸部で津波の被害を受けた方や、液状化現象、医療関係のお仕事をされている方からは地震当日の過酷な状況など、みなさんそれぞれの地震を体感していたのだな~と思いました。
中には御実家が南相馬市の方や避難所生活の方など、東京に通っていると茨城が被災地であることを忘れがちになってしまいますが、こちらはまだまだ戻っていないようです。
実際その環境に身を置かない限り実感は薄いのは当然ですが、都内と茨城の温度差を非常に感じます。
東京からは、たかだか100キロしか離れてないわけで、さらに100キロ以上登れば、そこは放射能の地獄なわけです。